そこにある事実と共生する。中村健太の世界。
「撮った日時、場所もあまり重要でなく、そこで何が起こっているかという事実を正確に伝えるより、ストリートスナップ、ドキュメンタリー、セットアップなどの手法をミックスした状態で、見てくれる人がどういうふうに感じるか、そのための曖昧さとか余白を与えたいと思っている」
in the past – 写真家 中村健太、写真に漂う放心と無邪気。より
LOBJETに所属する写真家・中村健太はブライダルや家族写真などの一般写真館業務の傍ら、
世界的なファッションブランドやアーティストとの作品を発表している。
中村健太の写真は、その馬の尿の如く、一見、然したる事件が見当たらない。
然し、図像の内に、不可思議な均衡を湛え、芸術としてころんと納まっている。そこが尋常ぢゃない。
例えば、氏の祖母と思しき老嫗の写真群がある。
白雪姬の礼装を纏い、自宅の居間の炬燵に這入って、電画を観乍ら、塵紙で鼻水を拭いて居る。
左手には食べ終えた蜜柑の皮が握られ、背に居る猫は、茫然と彼方を見てゐる。
この有樣が尋常でなく感じるのは、老嫗が礼装を纏っているからではない。
孫が構図を企てる、写真機という非日常の面前で、平常と変わらず、娉として過ごす老嫗の極めて自然な振る舞いに在る。
其れは、一塵も俗埃いの眼に遮るものを帯びてはおらぬ。その見過ごされる筈であった日常は、礼装の装置を以て、より際立っている。
真の美は、日常に在る。普遍ではあれ、少しく形骸化したその言は、此処ではじめて価値を新たにする。
美しきものを美しく撮るのは意図も容易い。否、美しきものを、弥が上に、美しくせんと焦るとき、美しきものは却って其の度を減ずる。
付け加えて、中村の写真には、放心と無邪気が漂っている。放心と無邪気とは、余裕を示す。
余裕は画に於いて、詩に於いて、文章に於いて、必須の条件である。彼はその放心と無邪気を以て、世界の異なる見方を示す。
文:サダマツシンジ (in the past)
●中村健太(なかむらけんた)
1981年生まれ。写真家。株式会社ロブジェ所属。
2016年イタリア版『VOGUE』が選ぶベストフォト100、「PHOTOVOGUE」のフォトグラファーベスト30に選出された。
シリーズ「Your story」が注目を浴び、『It’s Nice That』をはじめ、さまざまなメディアで取り上げられた。